最強の「著作物同一性保持権」はどのように誕生したのか? ~「九層妖塔」紛争事件の二審判決に関する考察~

先日、北京知的財産権裁判所が終審判決を下し、張牧野(ペンネーム:天下覇唱)が提起した「九層妖塔」の著作物同一性保持権侵害訴訟に休止符を打った。二審裁判所は一審判決を撤回し、中国映画株式有限会社等の被告が張牧野氏の著作物同一性保持権を侵害したと判定した。「九層妖塔」は配信された当初から、プロデュース側がアクセス数のみを重視し、宣伝と実際の配信内容が一致しない行為が広く批判された。アクセス数のみを重視する傾向に対して見苦しく思っていた一般視聴者にとっては、今回の判決は朗報のようであるが、著作権法分野の専門家として、筆者は、二審判決を詳しく分析した後、複数の問題について尚、検討する余地があると考えている。
作者:倪 挺剛
2019-09-27 10:54:39

先日、北京知的財産権裁判所が終審判決を下し、張牧野(ペンネーム:天下覇唱)が提起した「九層妖塔」の著作物同一性保持権侵害訴訟に休止符を打った。二審裁判所は一審判決を撤回し、中国映画株式有限会社等の被告が張牧野氏の著作物同一性保持権を侵害したと判定した。「九層妖塔」は配信された当初から、プロデュース側がアクセス数のみを重視し、宣伝と実際の配信内容が一致しない行為が広く批判された。アクセス数のみを重視する傾向に対して見苦しく思っていた一般視聴者にとっては、今回の判決は朗報のようであるが、著作権法分野の専門家として、筆者は、二審判決を詳しく分析した後、複数の問題について尚、検討する余地があると考えている。


今回の紛争事件において、著作物同一性保持権の権利侵害が成立するか否かは本稿の考察要点ではない。本稿では、判決における二審裁判所の著作物同一性保持権侵害の認定規則の合理性に重点を置き、判決における法的根拠への解釈、説明部分について考察する。


一、 「名誉・声望が棄損される」ことは権利侵害を構成する要件であるか?


二審判決で、最も注目されたのは、「名誉・声望が棄損される」ことが著作物同一性保持権侵害の構成要件ではないと明確にさせたことである。


中国「著作権法」第十条は、著作物同一性保持権について、「著作物が歪曲、改ざんされない権利」と定めている。判決は、「中国の現行の著作権法における著作物同一性保持権は、著作者の名誉・声望が棄損されるという要件」が定められておらず、「著作権法」が明確に規定する前に、勝手に「著作者の名誉・声望が棄損されるという要件」を追加してはならないと述べた。従って、著作物同一性保持権の権利侵害に該当するか否かを判断する際には、著作者の名誉・声望を損なったか否かを考慮する必要がなく、権利侵害行為によって、著作者の名誉・声望が損なわれることは権利侵害情状の重さを判断する要素に過ぎないである。


中国の著作物同一性保持権に関する規定は、「ベルヌ条約」第六条の二、「著作者は著作物の改変、切除その他の改変又は著作物に対するその他の侵害で自己の名誉又は声望を害するおそれのあるものに対して異議を申し立てる権利を保有する」に基づき、制定されたものである。上記の認定の合理性を強調するため、判決は「ベルヌ条約」で当該規定を定めた背景を紹介した。当該条文は英米法系(版権主義)国家の立場を協調し、「精神的権利に関する最低レベルの保護水準」を定めており、「加盟国は、その国内法律において、条約に定められている著作者名誉或は名声を損なうとの要件について、改正又は削除を行うことができる」。中国は大陸法系(著作者権利主義)国家の立法原則を踏襲し、「著作物同一性保持権への保護レベルが高いので、通常では、著作者が著作物の改変によって、著作者の名誉・声望が損なわれることについて挙証して証明することを要求していない」。


当該部分の判決は国際条約の立法背景、英米法系の人格的利益と大陸法系の精神的権利の異なる特徴について、的確に論じているので、一読する価値がある。然しながら、その結論、つまり、「大陸法系の国家において、通常、作者が著作物の改変によって、作者の名誉・声望が損なわれることについて挙証して証明する必要がない」について、筆者は検討する余地があると考えている。ここでは、フランス、ドイツ、イタリア、スイス、日本の大陸法系国家がこの問題に関する規定を紹介する。

 

 法律名称規定内容
フランス知的財産権法典(1992年7月1日,第92—597号)①  一般的な著作物同一性保持権は、名誉・声望が棄損されることを要件としない(121号第1条第1款);②  ソフトウェアの著作権の著作物同一性保持権は、「名誉又は声望を損なう」ことを要件とする(121号第7条)。
ドイツ著作権及び著作隣接権法(1965年9月5日)正当なる「精神的」或は「人格的」利益の損害を要件とする(第14条)。
イタリア著作権及び著作隣接権保護法(1941年4月22日,第633号)名誉又は声望の評価低下を要件とする(第20条第1款)。
スイス著作権及び著作隣接権連邦法(1992年10月9日)①  名誉・声望が棄損されることを要件としない(第11条第1款);②  パロディを認める(第11条第3款)。
日本著作権法(1970年5月6日) 名誉・声望が棄損されることを要件とする。


「名誉・声望が棄損される」ことが著作物同一性保持権の権利侵害の構成要件であるかについて、同じく大陸法系国家でも、異なる規定がある。イタリアは、名誉又は声望が棄損されることを権利侵害の要件としている。フランスとスイスは、精神的権利を保護しているが、法律に明文規定がある場合を例外としている。ドイツは「精神的」と「人格的」権益を並列しているが、正当なるという表現によって、利益均衡を図る解釈に余地を残している。ここ数年において、ドイツ国内では、著作物同一性保持権の保護が行き過ぎたか否かについて広く議論してる。


日本は、世界で、最も高いレベルの著作人格権保護を施行しているとされている。日本の刑法は一般的な名誉棄損罪について、三年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金に処すると定めており、著作者の人格的権利侵害について、五年以下の懲役若しくは500万円以下の罰金又はこれらの併科に処すると定めている。日本の「著作権法」第20条は、「著作者は、その著作物及びその題号の同一性を保持する権利を有し、その意に反してこれらの改変、切除その他の改変を受けないものとする」と規定している。更に、第113条の7に、「著作者の名誉又は声望を害する方法によりその著作物を利用する行為は、著作者人格権を侵害するものと見做す」と規定している。異なる表現を通じて、「その意に反してこれらの改変、切除又はその他の改変」と「著作者の名誉又は声望を害する方法により利用する」行為を分けた。従って、日本の著作物同一性保持権は名誉・声望が棄損されることを要件としていない。然しながら、日本のように著作者に強力な保護を与え、事前に翻案権が許諾された場合、翻案後の著作物が、著作物同一性保持権を侵害する可能性があるとしていても、原作者による翻案への許諾はその原作への保護より優先するはずである。名誉、声望に損害を生じていない場合に、著作物同一性保持権を侵害したと認定することは不適切であるとされている。審判実務においても、権利侵害を阻却する事由について広範な解釈を行っている。


本件の被告は中国人民代表大会の公式サイトの法律問答と釈義のぺージをプリントアウトし、証拠として提出した。その主な内容は次の通りである。「著作物同一性保持権は、主に、著作者の人格と尊厳から、他人が著作物に対し歪曲的に処理し、作者の名誉・声望が棄損されることを防止する権利である」、「著作物同一性保持権は、作者の名誉・声望を保護する」。これは、法曹界における著作物同一性保持権侵害構成の通説と一致している。明確な立法意図があるにもかかわらず、二審裁判所は、本件の判決において、これを覆し、中国の著作物同一性保持権に世界で最高レベルの保護を与えた。文芸創作者にとって、その望外の幸せに値するであろう。


二、 翻案権との関係


今回の判決は、名誉・声望が棄損されることが著作物同一性保持権侵害の構成要件ではないことを認定した後、翻案権許諾を得た後、著作物同一性保持権への権利侵害の判定基準を下げる必要があるかとの問題について論じた。


同判決は、翻案権が経済的利益を保護しており、著作物同一性保持権が人格的利益を保護しているので、翻案権は著作物同一性保持権の保護する利益をカバーすることができないとして、「許諾されていない翻案行為であれば、その翻案に歪曲、改ざんがない場合には、著作物同一性保持権を侵害しないが、翻案権を侵害する可能性がある。許諾されている翻案行為であれば、翻案権を侵害しないが、歪曲、改ざんによって、著作物同一性保持権を侵害する可能性がある。つまり、権利侵害された著作物が翻案権を得たか否かは著作物同一性保持権の作者人身権への保護を影響しない」と述べた。


翻案権は、作者の「独創的表現」が模倣されないことを保護している。著作物同一性保持権は、作者がこだわる表現(必ずしも独創性を有するとは限らない)が改変されないことを保護している。两者の保護対象が異なり、方向も相反している。判決の論述そのものには問題ないが、著作物同一性保持権が翻案権の許諾によって制限を受けることになるか否かの問題とは関係ないと言える。制限を受ける必要があることを支持する者は、翻案の許諾によって、作者が自己の表現が改変されることを望まない一部の権利を放棄したことになるので、著作物同一性保持権は制限を受ける必要があると主張している。「翻案権の保護範囲が著作物同一性保持権の保護範囲をカバーしている」と主張していないので、判決は両者の保護範囲が重複していないことを理由に反論したのは、明らかに説得力がないと言わざるをえない。


今回の判決が「カバーすることできない」と論じる際に述べた著作物同一性保持権の保護する人格的利益、精神的権利に関する解釈は、判決論理に矛盾が存在することを浮彫にした。判決は、「二次的著作物が原作を歪曲、改ざんした場合、公衆に原作の表したい思想、感情を誤解させることによって、原作の作者に誤解を生じさせ、作者の精神的権利を侵害する恐れがある」と指摘した。更に、判決のその他の部分においても、「作者の意に反して、一部の内容又は観点を改変した」、「原作を歪曲、改ざんした場合、公衆に原作の表したい思想、感情を誤解させることによって、原作の作者に誤解を生じさせる可能性があり、作者の精神的権利を侵害する恐れがある」と述べた。つまり、作者の精神的権利が損害されることを「関連公衆の評価」が「作者の声誉への不適切な影響」、「公衆による作者への誤解」とリンクした。筆者は、「名誉・声望が棄損される」ことと、本質的にどのような区別があるかが分からない。それによって、次のような矛盾を生じさせた。「名誉・声望が棄損される」ことは著作物同一性保持権侵害の構成要件ではないが、著作物同一性保持権が保護しているのは作者の「名誉・声望」である。


著作物同一性保持権が保護する「精神的権利」は、作者が著作物を通じて、表した観点、思想、感情,又は公衆の作者への観点、思想、感情への正確な認知、即ち、「声誉」を含むほか、作者が自己の著作物への特殊感情或いは一種の「偏愛」、「こだわり」も含んでいる。言い換えれば、作者が無条件に、自己の表現方式を堅持し、他人による改変を拒否する権利である。当該権利は著作物によって、表した作者の人格によるものであり、その価値は、外部の評価の影響を受けない。公衆は、著作物の表した観点、思想、感情への理解によって、作者の人格への認知を形成することは、判決書が英米法系と大陸法系の区別を論じる際に述べた英米法系と大陸法系の共通する人格的権利(名誉・声望)に該当し、大陸法系の著作権法が特有する権利ではなく、英米法系の著作権法にも、著作物そのものに精神的権利が存在するとされている。


許諾を経ずに無断で原作を翻案する行為は、原作者は如何なる改変を行うことを認めない精神的権利を有する。然しながら、翻案の許諾を受けた場合、原作者の許可を得て合法的に再創作を行う創作者が、原作に対し個性的に解読をすることは翻案創作の本来の意味である。厳格に言えば、世界中の全ての著作物は前人の著作物の上で翻案した著作物である。翻案者による個性的な再創作は文芸が発展、繁荣する源である。翻案権は、著作物を改変し、独創性のある新しい著作物を創作する権利である。二次的著作物は新しい著作物であり、翻案者の観点、思想、感情を表しており、原作者の観点、思想、感情を表していない。原作者の名誉・声望を損害していなくても、二次的著作物の観点、思想、感情が原作者の観点、思想、感情の制限を受けなければならないことは翻案行為への誤解である。


従って、中国が大陸法系の国とすれば、その著作物同一性保持権が保護する「精神的権利」は、英米法系と大陸法系で共通する名誉・声望に関する人格権の内容を含むのみならず、大陸法特有の著作物そのものの精神的権利を含むはずである。許諾を受けていない翻案者に対し、作者は同一性を保持する精神的権利を行使することができる。一方、作者が他人による翻案を許諾した場合には、自己の著作物への無条件の偏愛、こだわりする権利を放棄したと見做す。但し、社会評価に関する人格的利益が存在するので、「名誉・声望が棄損される」は当該権利侵害の構成要件に該当する。このように対処したほうかが合理的ではないか?


三、 映画を翻案する際に、「必要」な改変


中国「著作権法実施条例」(以下、「条例」)第十条は、「著作権者が他人にその著作物から映画著作物及び映画撮影に類似した方法により創作された著作物を製作することを許諾した場合には、当該著作物に対する必要な改変に同意したものと見なす。但し、その改変によって原著作物を歪曲、改ざんしてはならない」と規定している。判決は当該規定に触れ、「必要な改変」を「改変しなければ、原作を撮影することができない又は映画著作物の創作と伝播を著しく影響する」と解釈し、「必要な改変」の前提下で、改変が「必要な限度内に限る」、「一般的な表現要素」を改変することができ、「核心的表現要素」を改変することができないと認定している。


「条例」における映画類似著作物の翻案への特別規定は、映画類似著作物の創作の特殊性に基づき、著作物同一性保持権に対し、強力の制限を行ったものである。その本来の趣旨は映画著作物の翻案範囲がその他翻案より広範であることを認めることであり、今回の判決も、この点について、認可している。然しながら、上記の「必要な改変」は、「やむをえない改変」と解釈された。「条例」の本来の趣旨が「やむをえない改変」ならば、当該条項を制定する必要もないであろう。映画の翻案に該当しなくても、翻案のために「やむをえいない改変」を行った場合、筆者は著作物同一性保持権の権利侵害責任を免除することができると考えている。


「核心的要素」に対し改変を行うことが可能であるか否かについて、筆者は一般表現要素と核心的表現要素が全て改変されたら、原作への利用ではなくなるので、翻案権と著作物同一性保持権のジャンルの問題ではなくなると考えている。


裁判官は法廷審理で多くの証拠を確認しているので、筆者が判決書のみを通じて得られる情報量とは全く異っている。本件の双方代理人及び一審裁判所が的確な意見を述べたにも拘わらず、二審裁判所が依然として、このような判決を下したのは、充分な理由があると考えられる。然しながら、一般公衆は判決書を通じて、裁判所の裁判規則を理解するしかないのである。本件の当事者と係争著作物は大きな影響力を持っているので、当該判決は今後の司法実務に重大な影響を生じることになると考えられる。


原作者の著作物同一性保持権に世界で最も高いレベルの保護を与えることが、中国の映画・ドラマ業界の発展にどのような影響をもたらすことになるかは、法律問題のようであるが、映画・ドラマ業界の関係者が答えたほうが適切であろう。筆者は法曹者として、判決そのものが呈した裁判規則の論理に興味があり、二審判決の問題点を考察することによって、関連業界の著作物同一性保持権問題への認識を高めることに力になれば幸いである。